イ・チャンドン『オアシス』

オアシス [DVD]

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「嫌なら見るな」という言葉がある。なにか芸術作品に対して不快な気分を感じたとクレームをつけた人に対して放たれる言葉だ。これはまあ、尤もな意見である。『時計じかけのオレンジ』ではあるまいし、映画なら映画に関して嫌なものを無理してまで観る必要など何処にもないのである。「嫌なら見るな」はその意味では正論だ。

ただ、凡庸な言い回しになってしまうのだけれど「嫌なら見るな」という意見が分かっていながらそれでも観てしまう「嫌」な映画というものがある。そして、それこそが優れた映画の条件ではないだろうか。「嫌」な気分になってしまうけれど観てしまう。「ぼくは、自分を傷つけたり、刺したりするような本だけを読むべきではないかと思っている」とカフカは語った。「本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない」とも。「嫌」な映画というものも「ぼくらの内の氷結した海を砕く斧」として効果するとは考えられないだろうか。

イ・チャンドン監督の『オアシス』を観た。なかなか厄介な映画だと思った。観ながらとても「嫌」な気分になった。途中で観るのを中断しようかなとも思った。だけれども最後まで観てしまった。これこそが監督の力だと思った。イ・チャンドン監督には常に唸らされているが、今回の鑑賞体験でも侮れない監督だと思った次第である。

明らかに知的障害を伴っていると考えられる男が居る。彼はその自由奔放な行動故に犯罪に抵触する行為を行い、前科がある。その男が出所して来る。鼻つまみ者として家族からは邪険に扱われる。それでも彼は、自分の行為の何処が悪いのか全く理解せずに振る舞う。そんな彼が、身体に重度の障害を背負った女性と出会う。彼女はアパートの一室から出るに出られない。そんな彼女を彼はそのアパートから連れ出し、デートに誘う。女性の方もやがて恋に落ち、ふたりだけの夢のような日々が始まる……これが基礎的なプロットである。

ボーイ・ミーツ・ガール……と書くとあまりにも単純に過ぎようか。しかしこの映画をこの言葉以外で形容することは出来ない。イ・チャンドンは細かく彼らの不器用な恋愛を描いてみせる。だがその筆致は例えばケン・ローチ是枝裕和のようにリアリズムに至ることはない。彼らの恋愛は何処かファンタジーめいているのだ。それは時に夢/妄想と思われるシーンが挿入されることで強められる。全ては女性の観ていた夢/妄想の出来事だった……そう説明されても納得してしまいそうなほど、現実離れした展開が繰り広げられる。

オアシスとは言うまでもなく砂漠に位置する水源のことである。このオアシスは、そのままふたりの恋愛の姿の美しさを象徴しているかのようだ。誰も理解者が居ない、孤独な都会の砂漠の中をふたりは疾走する。そこには真の愛があると言っても良い。一度はレイプされかけた女性は、男の献身的な奉仕に次第に心を開いていく(このあたり、女性の心理が不自然というフェミニズム的な批判もあり得ると思うのだが……)。彼らの不器用な恋愛は、純愛という言葉が相応しい。あまりにも児戯めいた恋愛……それはしかし呆気なく終わりを告げる。

ネタを割る。男は轢き逃げで逮捕された前科を持つが、しかしそれは兄をかばってのことだったことが明らかになる。轢き逃げで亡くなった男の妹がヒロインの姫こと身障者の女性なのだけれど、彼女は普段は殺伐としたアパートに暮らしているが身障者向けのマンションに住んでいることになっており、家族が名義だけ借りてそこに暮らしていることが明らかになる。つまり、この映画で善人は何処にも居ないのだ。あるのはそれぞれの家族の正義だけ。エゴだけ。いや、そう考えてみると情動に任せて動く男と彼を受け容れる女性こそ善人なのではないか、とさえ思われるほどだ。

イ・チャンドン監督は社会派的な一面を持つが(『ペパーミント・キャンディー』が韓国の歴史を巧みに切り取った作品であったことを思い出そう)、この映画ではそういう闇を描いていながら不思議と社会派の匂いがしない。このあたりは解釈が割れるところだろうが、少なくとも私はこの映画からケン・ローチのような社会への怒りを感じなかったのだ。描かれているのは成り立ち得ない恋愛の甘ったるい(褒めてます)ロマンスである。これもまた愛の形なのかもしれない……そう思われるほどだ。イ・チャンドン、なかなか侮れない監督であるようだ。

観ていて、男の自由奔放な行動とそれを受け容れる女性の姿に感情移入してしまった。だからこそ、最後の最後で悲劇的な別れが彼らを待ち受けている。それを観て、私はとても「嫌」な気持ちになってしまった。これ以上観るのを止めようかと……しかし、これは直視しなければならない現実なのだと思って観てしまった。オアシスは基本的に奇跡のような場所である。砂漠における水源。極めてレアな場所を意味する。メタファーとして言えば、あり得ない場所にある癒やしの施設である。『オアシス』で描かれる恋愛も、そんなあり得ない奇跡であり夢だったのかもしれない……そんな切なさが残る逸品だと感じられた。