芝山幹郎『映画西口東口』

映画西口東口 (ele-king books)

映画西口東口 (ele-king books)

 

大著である。五百ページを少し超えるくらいのヴォリュームを備えた本であり、今世紀に入って遭遇した 171 本の同時代の映画について熱く語られた本である。ソフトカヴァーでありなおかつ売価が張ることから万人にお薦めし難い一冊ではあるのだけれど、もしも貴方が本当に面白い映画を探しているのであればそんなことは気にせずに買って読んでいただきたい。きっと何かしらの発見があるはずだ。年間 250 本は観るという芝山幹郎氏の映画に関する知識は伊達ではないことが良く分かるだろう。しかも分かりやすい。この映画はこんな勘所を見逃すべきではない/なかったのか……ということが、不思議と得心が行く文章が詰まっている。映画批評と言えば難解なものと敬遠している方にこそ是非お薦めしたい。

芝山幹郎氏の名前は『今日も元気だ映画を見よう』という著作で知った。一日一本のペースで映画を観ることを想定された 365 本の映画を紹介した本なのだけれど、『ゼロ・グラビティ』のような最新作の映画から『2001年宇宙の旅』まで、エルンスト・ルビッチからクリストファー・ノーランまで幅広くフォローされていることに舌を巻いたのだった。それで早速ルビッチの『生活の設計』を観てみたのだけれどこれがまた滅法面白い。ルビッチの名前程度は知っていたが、観てみた後に芝山幹郎氏の解説を読むとなるほど自分の観方は勘所を外した観方だったのだなと深く恥じさせられることしきりだった。映画評と言えばバカのひとつ覚えのように蓮實重彦氏を読んで挫折していた自分にとって、芝山氏の映画評はその分かりやすさ、それでいて決してレヴェルを落とさないところに惹かれるものがあったのだ。芝山氏の著作と出会ったのは去年の大事件と言っても過言ではない。

『映画西口東口』はいきなり『マッドマックス 怒りのデスロード』評から始められる。題名の『映画西口東口』は、西口に行けば旨いものが食べられ東口では静かに呑める居酒屋で時間を満喫することが出来るという意味合いを兼ね備えている。流石は西口映画、つまりこってりした映画の筆頭にこの映画を持って来るだけのことはある。私は不勉強にして『マッドマックス 怒りのデスロード』は未見なのだけれど、年季の入った芝山氏らしい着眼点に唸らされる。単なるスリリングな映画……として片づけないところが見事だ。撮影の技法やスタッフの来歴まできちんと調べ上げて、くどいが「勘所」をコンパクトに紹介している。これがプロの仕事か……読みながら何度も唸らされてしまった。

短文を、いや小刻みに打たれる読点や句点を駆使して畳み掛けるようにこちらを(失礼な言い草になるが、時には力づくで)説得して行く筆致は実に見事としか言う他ない。短いキラーフレーズを頻出させ、まだ観てない観客を映画館ないしは DVD のレンタルショップに走らせるだけの力は充分に兼ね備えている。着眼点がまた渋い。このスタッフがこんな仕事を行っている……そう言った基礎の「基」の部分に着目することを芝山氏は抜かりなく行っている。映画と言えば監督と俳優が命だと思っていた自分の浅はかさを恥じさせられるには充分だったと言ってもいいのだろう。今後はキャメラマンやその他のスタッフにも注目しないと観ている意味がないな……そう思わされてしまった次第である。

またチョイスの幅が広い。先述した娯楽映画の王道とも言える『マッドマックス 怒りのデスロード』から始まり、渋いところだとウェス・アンダーソングランド・ブダペスト・ホテル』といった作品やその他名をそれほど知られているとは言い難い監督の才能を若くして見抜いている。個人的にはこれも前に書いたことだが、クリント・イーストウッドの映画を観たくなった。『アメリカン・スナイパー』をまずは観ようかと思いつつ、今のところ果たせないでいる。これは私の側の怠慢であると言うはっきりした原因があるので、限られた時間を有効に使うためにもこれからますます映画を観なくてはならないなという感慨に耽ってしまった。

芝山氏の映画評は、たとえそれが違和感を抱かせるものであるにしても手を抜かない。何故自分の感性とその映画は相性が悪いのか、それを解析せんとする。その愚直と言ってもいい態度が、繰り返しになるが信頼に値する。映画を伊達に長年観て来たわけではない、その他人生経験も豊富に暮らしている人間の持つダンディズムのようなものさえ(もちろん、それはナルシシズムとして鼻につかない)感じ取れる。全力を振り絞って書いていることが不勉強なこの私からしてみても良く分かる。くどいが、観ず嫌いで済ませようとしていた『マッドマックス 怒りのデスロード』を観てみたくなってしまった。きっと退屈はしないだろう。

私も含めて素人が相対的に映画評(私の場合は感想文だが)を多々書くようになった時世である。そんな中にあってプロとアマチュアを分ける基準は何処に求めれば良いのだろう? 本書はその意味で、素人の映画評が束になっても敵わない底力を見せてくれているように思う。これからの映画鑑賞にガイドブックとして重宝しそうだ。ただ、流石にこの本をいきなり買わせるだけの勇気は私にはない。興味のある方はコンパクトで手に入りやすい『今日も元気だ映画を見よう』あたりから入って、相性が合えば本書に挑むというのが理想的な接し方ではないかと思われる。いや、それにしても相当お年を召した芝山氏がこんなに映画を観ているとは! つくづく惰性で生きている自分が恥ずかしくなった。ゼロ年代の映画を知りたい方にとっては必読だが、くどいがそれなりに売価が張る。そのあたりを留意した上でことに望まれたい。