アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ『アモーレス・ペロス』

アモーレス・ペロス ― スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

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アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの映画は、日本で観られるものは全て観た。どの映画も興味深いと思われた。今回『アモーレス・ペロス』を観たいと思った理由は特にない。二度目の鑑賞になるが、最初に観た時はさほど良い印象を抱かなかった。タランティーノの模倣/エピゴーネン……その程度の印象しか持っていなかった。ギジェルモ・アリアガの脚本があってこそ光る三部作を撮り、その後『BIUTIFUL』で社会派のアプローチへと転向し独自の境地を築いた作家。私のイニャリトゥに対する印象はそんなところだろうか。

今回観直してみて、私は自分の浅はかさを思い知らされた。タランティーノに関しても『レザボア・ドッグス』や『パルプ・フィクション』くらいしか参照出来ないのでここでボロが出てしまうのだけれど、それを踏まえてもタランティーノのノリとイニャリトゥのノリは水と油くらい違うと思ってしまったのだ。スジの運ばせ方が良いとか、ギャングスタを扱っているとか共通項と言えばそれくらいだ。言わばタランティーノをイニャリトゥと同類項として語ることは、ミステリを書いているからと言って伊坂幸太郎法月綸太郎をひと括りにするのと同じくらい乱暴なことなのだ。

月並みな問いだが、『アモーレス・ペロス』でイニャリトゥが描こうとしているものとはなにか。この映画は最初に交通事故が登場する。三つのストーリーによって成り立っているこの映画のその三本のスジが絡み合う唯一の接点であり、ストーリーはその交通事故が切っ掛けで三者がどのように変容して行ったかを描き出すことに腐心している。

一本目のスジは、銀行強盗で稼ぐ兄とその妻、そして闘犬で稼ごうとする弟の話である。その弟が故あってカーチェイスに巻き込まれて事故を起こす。二本目は全てが上手く行っていたのに、その事故に遭遇して仕事も私生活も破綻してしまうモデルの女性の物語、三本目はその交通事故に目撃者として現れた殺し屋の話である。三つのストーリーが巧みにシャッフルされて、右に左に揺れ動くドライヴ感をこちらにもたらす。ギジェルモ・アリアガの脚本の有り様は流石で、これが『21グラム』『BABEL』へと発展して行くことになる。

問いに戻ろう。この映画が描こうとしているのはまずはその交通事故である。生々しいカーチェイスが、冒頭からガツンとカマされることでこちらにスリリングな印象をもたらす。そして描かれるのは、夥しい数の犬である。『アモーレス・ペロス』を文字通り訳せば「犬のような愛」となるが、犬が比喩としてのみならずマテリアルに重要な存在として立ち現れていることに私たちは慎重になる必要がある。闘犬で活躍する犬の姿、銃弾で倒れて痙攣する犬の姿、無防備に眠りにつく犬の姿……そんな犬たちがこの映画に有機的な温もりをもたらしている。

ここまでは良いだろう。では犬以外に描かれているのはなにか。素朴に、愛をめぐる映画として捉えるのはどうだろうか。それは兄弟愛であったり、あるいは禁断の愛(義理の姉を愛する弟!)の愛であったり、自分が死んでいると思っている娘に向かって達し得ない愛を告白する父の愛であったりする。その愛は「犬のような愛」である。どの愛もオーソドックスな恋愛に至らない、屈折した形でしか伝えられない愛なのだから。そう捉えてみれば『アモーレス・ペロス』はタランティーノが軽快に語る愛の形ではなく、良かれ悪しかれ酷く鈍臭い愛を語っていることに気づかされる。

そして、この愛が後の『BIUTIFUL』の男の愛、『バードマン』の娘を思う父の愛、『レヴェナント』で復讐者に向けられる愛へと発展して行くことに、否応なく気づかされる。愛は別の言い方をするなら妄執とも言える。このあたりに早くもイニャリトゥの資質が現れていたのかと、鑑賞していて唸らされてしまった。

メキシコを舞台にしたこの映画は、ホットな感触を感じさせる。ヒリヒリするような生々しさがあるのだ。それが同じく暴力沙汰を描いていてもクールであり洗練されているタランティーノとの相違でもあるだろう、私が忘れられないのは冒頭近くにおいて殺し屋が標的を仕留めたあたりである。レストランで行われるのだが、鉄板の上に血が流れ出るのだ。ジューシー……と書くと不謹慎だろうか。だが、肉汁にも似た血の沸騰にこちらも唸らされてしまった。こんな場面を観逃していたのか、と思ってしまったのだ。

三つのスジは、はっきりしたエンディングを提示されるわけではない。いや、最後は殺し屋が不毛の大地へと降り立つところで閉じられる(と、書いてもネタを割ることにはならないだろう)。当て所もないところに来てしまった……三島由紀夫の『豊饒の海』にも似た見事なラスト・シーン。彼らはなにもかも失ってしまう。だが、誰もが知るとおり人生はそれでも続くのだ。この「それでも続く(To Be Continued)」行方が『21グラム』『BABEL』へと化け、あるいは『BIUTIFUL』以降の作品へと発展することを考えれば、非常に興味深い。