アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ『BABEL』

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三つのストーリーが相互に絡み合って展開していく……と書けば、またかと思われるかもしれない。そう、この映画もギジェルモ・アリアガが脚本を書いているからか、多重に展開するストーリーを成している。それは『アモーレス・ペロス』『21グラム』から変わっていない。ギジェルモ・アリアガのこの律儀さは感心するに値する。

最初に観た時はしかし、あまり評価出来る作品だとは思われなかった。『アモーレス・ペロス』がメキシコで閉じていてそれ故に密接な人間関係を描くことに成功していたのに比して、『21グラム』はアメリカで展開されるが故に人間関係がワールドワイドになる。別の言い方をすればローカルさが欠けるので密接さが薄まる。そして『BABEL』だ。これは本当にワールドワイドなストーリーだ。全世界を相手に勝負に出た作品と言っても過言ではないだろう。モロッコ、日本、北米の三つの舞台で物語は展開される。別の言い方をすれば、もっと人間関係の密接さは薄まる。

それ故に、つまり人間関係が薄まり過ぎるが故に私は最初この映画を高く評価出来なかった。難しい問題ではない。日本人のハンターがライフル銃を他人に渡すというストーリー展開に無理はないだろうか。あるいは聾唖の女子高生がファックオフのサインを示すというところにも。日本のローカルさを削ぎ落としてそういうワールドワイドな展開に持っていこうとしているあたり(私は検証出来ないのだが、モロッコや北米のパートでももしかしたら同様の「無理」を指摘出来るのではないか?)、不自然に感じられた。作為がある、ということだ。

そんなわけで最初の鑑賞は不満に思い、二度目の今回の鑑賞もさほど期待して観たわけではなかった。やはり、と思う。ストーリー展開には無理がある。ローカルさが削ぎ落とされたが故に、何処かで見たような感覚の日本やモロッコが現前する(紋切り型/ステレオタイプ、というやつだ)。この「何処かで見たような」はそのまま『BIUTIFUL』でも現れると思うのだが、これから観直すので早急な評価は避けようか。今回観直してボンクラな私は、この映画の肝腎な部分を観落としていたことに気づいた。そう、言葉だ。

『BABEL』というタイトルが象徴するように、この映画はバベルの塔の逸話がモチーフとなっている。世界の人々がバラバラの言葉を喋るようになってしまった切っ掛けとなるのが件のお話であることは説明するまでもないだろう。この映画は英語や日本語、あるいは手話やその他の言語が入り乱れて如何に人々の意思疎通が成り立ち難いかが綴られる。例えばモロッコで子どもが悪戯心で撃ったライフルで狙撃された女性の肩をめぐって、男とモロッコの獣医(!)は通訳を媒介に噛み合わない会話を披露する。このあたりのストラッグルが見どころだ。

聾唖の女子高生が、耳が聞こえない状態でクラブに入るところも見逃せない。無音で映画が展開されるという凝った造りになっている。もちろん女子高生の主観から物語を映し出しているわけだ。初見ではさほど重要だとは思われなかったこのパートが、今の私には極めて重要なことのように思われる。言葉とは必ずしも話し言葉/音声だけではない、と説いているからだ。手話や読唇術やボディランゲージによって生まれるコミュニケーションもまた言葉の一環なのだと説いているところはなかなかギジェルモ・アリアガの知性の凄さを感じさせる。

この映画のMVPをひとり挙げるとするなら、沢木耕太郎菊地凛子を推しているが私も彼女を推す。全裸になり、あるいはパンツを脱いで男を翻弄する彼女の姿はしかし下卑たエロさというものはなく、上品なのだ。トラン・アン・ユン『ノルウェイの森』でも彼女は上品なエロティシズムを表現/体現していたが、彼女の佇まいから逆算して映画を観たことはなかった。これは別の作品も改めてチェックしなくては……と思った次第である。その意味で沢木耕太郎の映画評は慧眼だったと思われる。ただ、と思う。別の言い方をすれば他の俳優陣はどうか?

ブラッド・ピット、あるいは役所広司といった名優が出演してはいるがしかしこの映画の彼らはさほど人間性の掘り下げは為されていないのではないか、という懸念をも抱く。言葉の入り乱れ/混乱をめぐるストーリー展開をどうウェルメイドに持っていくかに拘泥し過ぎていて、人間性の掘り下げは疑問視出来るのではないか、と。幸か不幸か後のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ作品を観ているのでそこから評価するなら、『BIUTIFUL』以後の作品はイニャリトゥは一変してストーリー展開の旨味をある程度まで捨てて(あくまで「ある程度まで」。彼の映画はスジが面白いことは強調してもし過ぎることはない)、人間の掘り下げに向かったようだ。その意味で、彼を一躍有名にしたこの映画はターニング・ポイントだったのかもしれない。