フェルナンド・メイレレス『ナイロビの蜂』

ナイロビの蜂 [DVD]

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芸達者だなあ、と観ながら唸らされてしまった。ジョン・ル・カレの小説を原作にしたものなのだけれど、そちらの方は不勉強にして読めていない。だけど、下手をすると消化不足になりそうなプロットをすっきり整理してここまで巧みに提出されると唸るしかないではないか、と思ってしまったのだ。

イギリスの外交官が居る。彼の名前はジャスティン。彼の前にある日、テッサという女性が現れる。正義感たっぷりな彼女はジャスティンと瞬く間に恋に落ちる。テッサはアフリカに飛ぶが、そこで目にした生々しい現実をレポートに仕立て上げようとする。それはとある製薬会社が新薬の実験のためにケニヤの人々を利用しているという類のものだった。だが、テッサは事故に見せ掛けて殺されてしまう。ジャスティンはひとりで彼女の死の真相に迫る。それはつまりアフリカで起きている生々しい現実とコミットすることであった……というのがプロットである。

こう書けば分かると思うのだが、要は製薬会社が私服を肥やしているということに対する怒りがこの映画の柱になっている、それはなるほど何処かで観たような話ではある、ベタと言えばこれほどベタな話はない。だけれども、この監督は見せる。時にはデジタルカメラを使い、手ブレを隠そうとせずに臨場感溢れる映像を映し出している。また別の時にはオーソドックスなカメラワークを使い、控え目な撮り方でこちらを引きずり込む。こうした撮影技法の多用さに、「達者だなあ」と思わされてしまったのだ、俳優陣の演技も素晴らしい。

この映画はそういった社会派的な要素と、ジャスティンとテッサの恋物語という水と油のようなストーリー展開を接合することに見事に成功している。テッサの善人ぶりが最初は痛々しかった。しかし、人道的な行為に我を顧みず飛び込んでいくテッサに対してあくまで官僚としてしかアフリカの問題に関わらなかった――だからこそ庭いじりに逃避せざるを得なかった――ジャスティンは辟易するのだが、彼女を愛していたことが結果として政治的行為にコミットする切っ掛けを与えてくれることになるのだ。そしてテッサが如何に彼を愛していたかを知ることになるだろう。

何度でも書くが、資本主義の告発というテーマはそれ自体目新しいものではない。むしろ有り触れたテーマであり、映画もまた資本主義が作り上げたものであるからこそコマーシャリズムに塗れた反コマーシャリズムという自己矛盾に陥らなければならない。そのジレンマを経由していない映画を私は信用しない。その意味ではこの作品は信用出来る。さながらダニー・ボイルスラムドッグ・ミリオネア』にも似た貧民のリアルがドキュメンタリー・タッチで描かれており、アフリカの現状を伝えてくれるものとなっているからだ。

まとめると、ストーリーの整理がきっちり出来ておりかつカメラワークが多彩でこちらを飽きさせない作品、となるだろうか。なるほどもっと分かりやすければという欲を抱かなくもないが、ここまで噛み砕かれたストーリーにそれを求めるのは酷というものだろう。私は観終えて、一種のバッド・エンドとも言えるこの映画をしかし清々しく感じられた。どんな終わり方なのかは書かないが、ダメ人間だった男がダメじゃなくなる話と言えば良いだろうか。ジャスティンが政治に本格的にコミットしていく過程は、彼が成長していく過程に繋がるのだ。

社会派の映画……是枝裕和ケン・ローチダルデンヌ兄弟ダニー・ボイルといった監督が織り成す星座の中に、このフェルナンド・メイレレスも加えて良さそうだ。外交官でありながら己の独自の政治的立場も明かすことが出来なかったほどヘタレだったジャスティン、庭いじり(タイトルの原題を訳すと「不変の庭師」という意味になる)に逃避してアフリカを見なかった彼はこの映画でアフリカを発見する。ひとりの少年を助けることがその他大勢を犠牲にすると分かっているなら、彼はそれでも少年を助けるだろうか? というトロッコ問題にも似た重い問いをこの映画は投げ掛けているのだ。

フェルナンド・メイレレス。また興味深い映画監督の名前を知ってしまった。これは是非他の作品も観なければ、と思った次第である。私自身アフリカについて無知も甚だしいので、この映画から学んだことは多かった。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ『BABEL』のような映画に期待していたことを、この映画はきちんと応じてくれている。それだけでもこの映画は買いではないかと思ったのだ。次は『シティ・オブ・ゴッド』あたりを観てみようかなと思っている。いや、侮れない映画監督が居るものだ。

何度でも書くが、資本主義の内側に居る人が資本主義を告発するのはそれ自体限界を孕んでいる。その限界に愚直に向き合った、数少ない映画のひとつだと私は思う。この映画がもっと多くの人に観られることを願って、私はこの文章を〆ることにしたい。いや、これは参った。