テレンス・マリック『ボヤージュ・オブ・タイム』

ボヤージュ・オブ・タイム [DVD]

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テレンス・マリックの映画を、私はさほど観ていない。『シン・レッド・ライン』と『ツリー・オブ・ライフ』、この二本だけだ。だからこの『ボヤージュ・オブ・タイム』を語る資格があるのかどうか、甚だ疑わしい。こちらの不勉強から来る誤読を晒し恥をかくことを、恐れないで語りたいと思う。

初のドキュメンタリー映画ということだが、私は英語が出来ないので日本語吹替え版で観てしまった。それもあってなのかどうか分からないが、あまり関心しなかった。テレンス・マリックの映画は結局とあるシチュエーションがあって、とある登場人物が存在して、とある成り行きでふたりが恋に落ちて……というような「ストーリー」ないしは「スジ」があってこそ、テレンス・マリックの映画は面白いのかもしれないなと思われたのだ。「スジ」の旨味が映画を支えている、と言えようか。それを知ることが出来たことは確かに収穫だった。

逆に言えばこの映画は「スジ」がないのだ。だから、出来上がったものは単なる映像の羅列で終わってしまっているように思う。それにスピリチュアル/ニューエイジ臭のする(オカルト……とまでは言うまい)ナレーションが被さっているせいか、余計に胡散臭いものとして感じ取れた。これもまた観衆を選ぶ類の映画なのだろう。私は選ばれなかったわけだ。いや、ところどころ流石はテレンス・マリックと思わせる映像美は確かに存在する。とある瞬間はタルコフスキーさえも彷彿とさせると言っても良い。だが、映像の美しさだけで90分はキツいだろう。

こう語れば、いや『ツリー・オブ・ライフ』は愚作ではないかと反論されるかもしれない。確かに『ツリー・オブ・ライフ』は蓮實重彦を激怒させた問題作であることくらい私も分かっている。あの映画を手放しで私は礼賛しない。だが、ともあれ『ツリー・オブ・ライフ』には「スジ」の旨味があった。少年が育ち、父に歯向かう。父と和解する。そういうストーリー構成が存在した。それがテレンス・マリックの世界を分かりやすく絵解きしてくれていた、と言える。絵本を想像して欲しい。ただ単に絵を並べたものは絵本にならない。

絵を並べて、その絵に「ストーリー」を書いていく。それによって絵と絵の間に脈絡が生まれ、そしてそれが物語のダイナミズム/グルーヴを生み出す。『シン・レッド・ライン』では戦地で消耗する兵士たちを、『ツリー・オブ・ライフ』では上述したような父殺し(?)を描いていたテレンス・マリックは、なにはともあれストーリーテラーだったわけだ。むろん、彼が生み出すその「ストーリー」自体珍奇なものでもなければ斬新なものでもなんでもないことは私も認めるに吝かではない。戦地が悲惨なことくらい誰でも知っているし、父が憎まれるべき存在であることも自明だ。だがしかし、その単純な(単純過ぎる)「スジ」が彼の映画を支えていたわけだ。

その観点から、テレンス・マリックを私は再評価してみるべきかなとも思われた。どうしてもテレンス・マリックの映画というと、映像美に注目してしまう。巧い喩えが見つからないのだけれど、マギー司郎のマジックを連想してみよう。どうしてもマギー司郎のマジックはトリックに注目が行ってしまう。彼が生むマジックはマジシャンなら誰でも出来るベタなものだが、しかしマギー司郎のマジックはそのマジックを誘導する語り口の旨味で出来上がっている。だから面白いのだ。テレンス・マリックの映画も同じようなことが言えないだろうか。

つまり、テレンス・マリック風に撮ろうと思えば誰でも撮れるのだ。それなりの機材を揃えて、それなりの風景に向けてカメラを回せば良い。『ボヤージュ・オブ・タイム』に関しても同様のことが言えないだろうか。この映画はテレンス・マリックテレンス・マリックしているだけであって、それ以上のものではない……と書くと酷だろうか。テレンス・マリックがそれでもグレイトなのは従って、映像にベタと言えばこれ以上ないほどベタな「スジ」で味をつけたシェフとしての腕前故のことではないかと思われたのだ。

なんだかボロクソに貶してしまったようだが、観る価値がない映画だとは思わない。ネトフリで観たのだけれど、志の高さもなにも感じられない愚作たちと比べればこの映画を提示したテレンス・マリックの姿勢はフェアに評価したいと思う(そもそも、志がどうだろうが私はこの世に「観るだけ無駄」な映画なんてないと思っている)。だからこそ、この路線には疑問を感じざるを得ない。テレンス・マリックはもっとストーリーテラーとして、彼の哲学/美学を分かりやすく絵解きしてくれる「スジ」を備えた作品を提示した方が良いのではないか、と思ったのだ。

そんなところだろうか。映画が放つメッセージまで踏み込んで語れなかった。グローバルな自然の美しさ、野生で生きる人間の逞しさ、母なる大地への回帰。しかし、あまりといえばあまりにも抽象的過ぎる。この路線はキツいだろう。彼がドキュメンタリーで成功するとは私は思わない。