アンドレイ・タルコフスキー『ストーカー』

ストーカー [DVD]

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困った。この映画について語るとなると、いつも以上にスジの話をすることになってしまう。かつて女友達に「あなたはスタンリー・キューブリックの映画を観て、スジのことばかり語っている。デザインのことなんてお構いなしなんですね」と言われて以来なるべく造形物の美しさを観るようにしているのだけれど、この映画はそういうわけにも行かない。ここが私の限界なのかもしれない。アンドレイ・タルコフスキー『ストーカー』について語るなら、この映画から引き出される個人的な繰り言で誤魔化すしかなくなる。

『ストーカー』のストーカーとは、ゾーンと呼ばれる場所へと人々を案内する人間のことである。ゾーンというのは、隕石落下によって生じた謎の場所でありそこに行けばなんでも願いが叶うとまことしやかに語られ、それ以来国が軍隊を率いて閉鎖している場所なのだった。そこにストーカー本人と、小説家と教授という三人の男の組み合わせが向かう。そこでストーカーは、あるいは小説家と教授は真のゾーンの意味を知る。ゾーンがなんでも願いが叶うということの意味も……これが基礎的なプロットである。ここからネタを割る。

登場人物がゾーンの扉を開く寸前、ゾーンが叶えてくれる願いというのは、実は意識して願うものではなく無意識に願っていることが叶うという推理が披露される(この推理は正解ではないかもしれないが、私は正解と受け取った)。彼らはゾーンの扉を開くことを止め、また日常に戻って来る。そういうエンディングで映画は〆られる。どうだろうか。なかなかしたたかな映画であると言えるだろう。私自身、自分自身の無意識の願いが叶ってしまう扉を開けたいかというとそんな勇気はとてもない。もしかしたら恋する人が死んでしまうかもしれないのだ。あるいは大金が手に入るとか。いずれにせよ望んでいないもの――そして逆説めくが「真に」望んでいるもの――が手に入る扉、私は開けられない。

斯くして映画は、人間は本当に欲しいものを手に入れられることは出来ないという絶望と、その絶望と同居して生きる知恵をこちらに授けてくれる。このゾーンのメタファーは色々読み取れる。言うまでもないがタルコフスキーが生きたのはソ連であって従って資本主義国と閉鎖された環境だった。だからゾーンを資本主義国と見做すことも出来るだろう。だが、それではプロパガンダとして有り触れたものになってしまう。冷戦の終了と同時にこの映画は忘れ去られても良いはずだ。だが、私はそういう解釈を採らない。この映画のゾーンは天国を指しているのではないか?

天国、ないしは死後の世界……そこでは確かに思うがままに生きることが出来るだろう。命という掛け替えのないものさえ手放せば。だが、そんな希望を私は人生の指針に据えることなど出来ない。どう足掻いたって私は命を抱きながら――そして、そんな命を手放せない自分自身に絶望しながら――生きることを選ぶだろう。それが天国よりもマシな選択肢だと信じて。だからこの映画は絶望的であるが、しかしこちらに癒しを与えてくれる。なにはともあれ生きよう、弱くても情けなくても、という癒しだ(実はこの人生観、頭木弘樹の著作から得たものでもあるので氏ならどうこの映画を観るのかな、と気になってしまった)。

それでは、スジ以外の話をしよう。タルコフスキーの映画は『惑星ソラリス』と『鏡』『アンドレイ・ルブリョフ』程度しか観ていないアマちゃんなのだけれど、どの映画も水が奇妙に官能的な存在として現れていたことを思い出す。そして水を打ち消すエレメントである火もまた。この映画も水と火が重要な場所に姿を表す。攻撃的なイメージがある火が、しかししなやかな水、弱々しいけれど集まれば火など消し去ってしまう水に圧されるところは「弱いけれどしなやかに生きる」というタルコフスキーの姿勢が(これは台詞でも現れるが)伝わって来るようだ。

あと、犬の存在も大きい。押井守タルコフスキーに入れ込んでいるのは何処かで聞いたことがあるのだけれど、この映画もまた押井の作品にも似て孤独な中年(初老?)の、しかし心はまだまだ若いインテリの葛藤を描いているように思う。押井の映画がそうであるように、この映画も何処か台詞回しは不自然で舞台劇めいている。舞台で観るとより映えそうな映画――つまりスクリーン向きの映画というわけだ。だから、自室のパソコンでしか観られない私はこの映画をスクリーンで観られる人を羨ましいと思ってしまう。まあ、スクリーンで観たら私は寝落ちするのがオチなのだけれど……。

とまあ、想像は広がる。押井守ドストエフスキーを読んでいたのだろうか、とか(この映画が、まあロシアの監督だからというこちら側の先入観あっての観方になるがドストエフスキー的に感じられるのだ)。だが、それについて詳述する余裕はない。ここで〆よう。