ヨアヒム・トリアー『テルマ』

テルマ [DVD]

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静謐な映画だな、と思った。ジャンル分けするならホラーに入るのだろう。タイトルの「テルマ」とはそのまま主人公の名前を指す。テルマは、信心深い家庭で育った。彼女は都会の大学に進学し、ひとり暮らしを始める。そこでアンニャという女性と恋に落ちる。同性愛というやつだ。だが、それとシンクロするように彼女の周りで奇妙な出来事が起こり始める。アンニャは疾走し、テルマ自身も癲癇にも似た発作に悩まされるようになる。その怪現象の謎を解く過程で、テルマは自分自身に呪われた能力が備わっていることに気づく……これがプロットである。

信仰心の強い家庭で育った彼女にとって、同性愛はタブーである。その圧力は、LGBTQが盛んに取り沙汰されている現在であっても――いや、だからこそ?――強いものであるだろう。背徳のプレッシャーに悩まされるテルマの葛藤が、そしてその葛藤を乗り越えて自由に生きたいと思う彼女の姿が、こちらにも否応なしに伝わって来る。その上品なタッチは買いだと思う。ただ映像が綺麗なだけの映画では終わらない、こちらになんらかの傷をつけることに成功していると思われた。ちなみにヨアヒム・トリアーはラース・フォン・トリアーの甥だそうだ。

冒頭、テルマが少女時代だった頃の場面で父親がテルマに銃を向ける。このあたりの魅せ方もなかなか巧い。こちらに訴え掛けるツカミとしては良質のものだろう。それ以外にも、荒く言ってしまえばスティーヴン・キング『キャリー』的な(とはいえ、私は高名なこの作品を読んでいないし、ましてやブライアン・デ・パルマによって映画化されたものも観ていないのでここでも不勉強がバレるのだけれど)ストーリーなのだけれど細部が丁寧に出来ていて、怪現象が実に静謐に描かれる。血がドバドバ出て来たり仰々しく泣き叫んだり、ということが起こらない。

北欧のホラー、ということで言えば例えば『ぼくのエリ 200歳の少女』のような映画をどうしても引き合いに出してしまいたくなるのだけれど、ここも個人的な不勉強が露呈するので語らないでおこうか。例えばアレックス・ガーランドマーク・ロマネクジョナサン・グレイザーといった監督と同列に論じても良い監督であるように思われた。ストーリーのスケール的には小ぶりなのだけれど、化ける可能性を秘めた監督ではないかと思ったのだ。ただの一発屋では終わらないものをこの監督は持っている。決してラース・フォン・トリアーエピゴーネンではない。

悪く言えば、それだけ地味な映画ということになる。ホラーが期待されるのは血がドバドバ流れたり人が沢山死んだり、感情が思い切り爆発したりするようなカタルシスだろう。激しい表現に晒されることでこちらのエモーション/感情を揺さぶりに掛けられてそれで享楽を味わう。それがホラーだとするならそういう享楽はこの映画にはない。むしろこの映画にあるのは、淡々とした/じわじわとこちらを追い詰めていく類のサスペンスなのだ。そのあたりを取り違えると困った結果に終わってしまうかもしれない。留意して欲しいところだ。

あと、テルマという名前からどうしても『テルマ&ルイーズ』を想起してしまうのだけれど、私はリドリー・スコットによるこの映画も観ていないのでまたしても不勉強がバレる形になる。甚だ恥ずかしいところ。監督が『テルマ&ルイーズ』を何処まで意識したのか、それもまた知りたいところだ。とまあ、そんなところだろうか。今回の映画鑑賞で改めて自分の見識の浅さを恥じさせられた。リヴェンジすべき映画にこの『テルマ』も加わった。今後北欧の映画を観ていきながら、この映画について考察していきたいと思っている。

火と水、というところからなにかを語れないかなとも思ったのだが――特にこの映画はプールや湖面といった「水」というエレメントを上手く使いこなしているので――それは流石に妄想が激しいというものだろう。だから語らない。テルマにとって、タブーである同性愛をめぐって家族との葛藤が行われ、結果としてハッピー・エンドで終わる。それはつまり(ネタを割ってしまうが)彼女が自分自身であることを取り戻せたという解釈で良いのではないかと思う。そのあたりのストーリーテリングはソツがない。好ましく感じられた。

その他にも氷結した湖の氷の下にとあるものが映るショットなど、見どころもある。北欧映画、特に北欧のホラーはどっぷりハマれる沼(湖?)なのかもしれない。フォローが追いついていないのでなんとも語りようがないが、ともあれこの監督には才能があると思われる。色々ケチをつけてしまったが、しかしこのサスペンスで保たせる作風はなかなかのもの。この監督の次作に期待したい。ヨアヒム・トリアーという名前はだから、頭の何処かに刻んでおく必要があるようだ。地味ながら愛すべき佳品として、私はこの映画を推す。今後に期待しつつ、この文章を〆ることにしたい。