ジャン=リュック・ゴダール『気狂いピエロ』

気狂いピエロ [DVD]

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ジャン=リュック・ゴダールの映画に関しては、既に多くの事柄が語られている。どれもこれも私の知る限りでは賛辞ばかりだ。まだ映画に関してなにも知らなかった頃、その賛辞を信じてこの『気狂いピエロ』に挑んだことがある。見事に玉砕してしまった。さっぱり映画の良さが分からなかったのだ。それ以来、ゴダールの映画は老後の楽しみに取っておこうと思って敢えて敬遠して来た。しかし、トラン・アン・ユン『シクロ』を観て『気狂いピエロ』から引用されている箇所があることを知り、「今ならゴダールが分かるのかもしれない」と思いこの映画にリヴェンジすることにした。

気狂いピエロ』にスジらしきスジは存在しない。一応はロード・ムーヴィーだ。男と女が出会い、彼らはボニー&クライドよろしく犯罪に手を染め逃避行を繰り広げる、という類の話。しかし、スジの理路整然とした映画を好まれる方はこの映画を観ることは難しいのではないか。『気狂いピエロ』の旨味はそんなストーリーテリングではなく、ポップで洗練されたセンスにあると思われたからだ。例えば音楽の使われ方、撮られ方、色使いのセンス等などである。ゴダールの色彩感覚は実に優れたものと言わざるを得ない。

例えば、冒頭のパーティーの場面で室内を照らす赤と黄色、青色のライト。ここからして印象深い。赤はこの映画において取り分け重要な色として登場する。ジャン=ポール・ベルモンドが着る服の赤。アンナ・カリーナの乗る車の赤。あるいは扉や本のカヴァーの赤。様々なところに赤色を配色し、こちらの視覚に訴え掛ける。だから観ていて心地良い。飽きさせることなくこちらを掴んでいくセンスは確かに優れたものであると思わされた。それが分かるようになったのも映画をこれまでバカみたいに観まくったせいなのかな、と思うと嬉しくなった。

これ以上のことはゴダールをもっともっと観ないと語れない。ただ、例えば金井美恵子高橋源一郎の作品にもゴダールが影を落としているようにも感じられる。金井に関しては具体的にどの作品とは言えないが、例えば高橋の『さようなら、ギャングたち』でギャングたちが銃殺される場面のアンニュイな雰囲気は『気狂いピエロ』のそれにも似ているかな、と思うのだ。もっともそれは彼らが潜り抜けた60年代末期の空気――「六八年革命?」――を映したものであって、ゴダールの影響ではないと言われればそれまでなのだけれど。

「C'est la vie.」、つまり「それが人生だ」という言葉が時々使われる。「人生」というキーワードもこの映画を理解するためには押さえて置かなくてはならないだろう。彼らは人生について語るが、その語り方は何処か醒めている。退屈なものとして、何処かシニカルに人生を捉えているように感じられる。芝居掛かった台詞から見えて来るのはそういうシニシズムだ。ゴダールは若くして人生とはなにかを悟ったのか? それとも単なる若書きの産物なのか? この醒めた感覚をクールと捉えられるかどうかは好みの別れるところだろう。

ともあれ、ここからゴダールの映画めぐりを始めるのも良いのかもしれないなと思わされた。本当に私はゴダールを敬遠していたので(より厳密に言えば、ゴダールを語る人々に違和感を覚えていたため)、自分自身を恥じさせられた。例えばスチュアート・マードック『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』といった映画はゴダールのこの映画を抜きに語ることは出来ないのかな、と……と書いていて思い出したのだけれど、この映画は一風変わったミュージカルとしても楽しめる。音楽にセンスがあるというのはつまりそういうミュージカル的な要素を孕んでいるからでもある。

ミュージカルであり、ロード・ムーヴィーであり、そしてロマンス。あるいはハードボイルド的な映画と見做すことも出来るだろう。五目寿司のように様々な要素が詰まった映画だ。だから、一見するとワケが分からないかもしれない。あと、この映画のギャグは(例えば顔をペインティングして芝居に興じるあたりは)北野武にも似ているかなとも思ったのだけれど、これはまたいつもの私ながらの頓珍漢なのかなとも思う。まあ、色々書いてしまったが、そんな多面的なところから切り込める映画として面白いのではないかと思う。

あと、赤ということで言えば火もまた赤の産物だし、アンナ・カリーナが流す血も赤い。そのふたつの赤をフィルムに収めたところもまた面白いと思われた。色彩美に関して私はさほどセンスを備えている人間とは言い難いが、この映画を楽しめるのも映画をある程度見慣れたからなのだろう。ゴダールは難解、という定評はあるが考えてみれば映画を「気狂い」のように観まくった人が撮った映画なのだ。こちら側もある程度は「気狂い」に映画を観て、それからつき合う必要があるのではないか……となんのひねりもないオチで〆たい。