真魚八重子『映画なしでは生きられない』

映画なしでは生きられない

映画なしでは生きられない

 

読み終えて、本書のタイトルに唸らされた。確かに真魚八重子氏は「映画なしでは生きられない」人なのだろうな、と。

何故映画を観るのだろうか? それは人に依るのだろう。ヒマ潰しとして。趣味として。嗜好として。娯楽として。「お勉強」として。あるいはトレンドについて行くために……私は基本的に映画についてはあまり良い観衆ではない。観ている本数も僅かだし、観た映画についてさえもあまり縦横無尽に語れない記憶力の悪さを露呈してしまっている。それでも映画を観続けるのはまあ、私なりに楽しんで観ているからである。私は「お勉強」は苦手だしトレンドも興味がないので、テキトーに目についたものを片っ端から観ているのだった。とても良い映画ファンとは言えない……私の話をダラダラ綴ってしまって申し訳ない。だからこそ、本書の真魚八重子氏の映画に対する姿勢には唸らされるのである。

本書は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』『ゼロ・グラビティ』『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』『フィルス』といった映画、スピルバーグトム・クルーズ作品から日本映画の佳品に至るまでを縦横無尽に語り尽くした書物である。タイトルで大見得を切るその向こう見ずというか攻撃的な姿勢は本書の文章にも現れている。「毒舌」「辛口」というわけではない。なんらかの作品を殊更に貶め、それと引き合いに出してなにかを褒めるというようなことはされない。映画に対しては(本書の成瀬巳喜男に対する姿勢のように)批判する場合であっても何処までもフェアネスを貫く。語弊があるが、その不器用なまでの真っ直ぐさが胸を打つのである。

氏は基本的にショットの美しさも重視するが、それよりもスジの構成にこだわっている印象を抱く。そのあたりは評価が割れるだろうが、ともあれ良くも悪くも分かりやすい批評であることは間違いない。スジ/構造は具体的にこれといって作品から分かりやすく抽出し分析出来る。ショットの美しさはそれを言葉に置き換えないと行けないので無理が生じるが(もちろん真魚氏も、見逃してはならないショットの美しさを褒めていないわけではないので念の為に)、スジなら文芸批評や演劇批評的に論じることが出来る……こんな風に書いてしまうと、真魚氏はあるいは立腹されるかもしれない。「私のやっていることを素人芸だと呼ぶのか」と。

違うのだ。誰でもやれそうなことを、しかし誰でもやれない次元でやってのけていることを指摘したいのだ。氏は自分自身の立場が敢えて「女性」であることにこだわり、そこから『マッドマックス 怒りのデス・ロード』という触れば危険な映画に命知らずの前のめりな姿勢で切り込んで行く。スピルバーグの映画の歪さやトム・クルーズの魅力に、ミーハーにならずに客観的に分析してみせる。町山智浩氏がやっているようなこと、宇多丸氏がやっているようなことを別の形でやっている……と書けば過褒だろうか。そのお二方ほど良くも悪くも芸はないが、不器用ながら生真面目で愛がありなおかつ映画そのものに耽溺していることは本書から痛いほど伝わって来る。

「映画そのものに耽溺している」……と書けば大袈裟に聞こえるだろうか。だが、私はこれは大袈裟な表現ではないと思う。これが氏にとっての貶し言葉にならないように――そう響かないように――祈りながら書くのだが、氏にとって映画は単なる娯楽でも「お勉強」でもトレンドへの追随でもない、延命措置のように思われてならないのだ。絶えず泳いでいないと死んでしまう魚のように……その意味では「映画マニア」ならぬ「映画ジャンキー」なのかもしれない。映画にドラッグのような快楽を求めた記憶のない私は、だからこそ氏のような凛とした(矛盾するが、快楽を追求する姿勢が同時に求道的/ストイックですらあるような)姿勢に惚れ込んでしまうのである。

裏返せば、先程も述べたが本書に「遊び」の姿勢はない。映画と真っ向からガチでぶつかり合う書物なのである。その姿勢が何処までも「不器用」なのだ。難なく掌の中でアカデミックな言葉を弄び披露するような、あるいは心にもないおべんちゃらを述べ立てるような器用さは本書には見当たらない。ショーマンシップに溢れた格闘技を見ているというより、より殺伐とした路上の喧嘩を見ているような気分になるというのか……むろんだから行けない、というわけではない。ただ、その真摯さにつき合うにはそれなりの覚悟が要る。映画的素人を拒むような本ではないので、あとはその真摯さ/痛ましさに何処まで向き合えるか。読者としての資質が問われる一冊だ。

本書で紹介されている映画で私が知っていたものは十本ほどという(もっと少ないかもしれない)情けないコンディションで読んだのだけれど、トム・クルーズへの愛情がたっぷり詰まった箇所はかなり読み応えがあった。異論もないではないが、ヤワな異論を黙らせるほどの情熱が本書にはある。熱さがある。ここまで映画がひとりの人間を動かしてしまうとは……その情熱の賜物が本書である。本書の帯文で「映画見たい!」と橋本愛氏は語っておられるが、私は映画というより映画にここまで憑依された真魚氏に興味を抱いてしまった。それが幸運なことなのか不幸なことなのかは分からない。むろん、観たい映画も増えた。まずは酔っ払った状態で観てしまったために内容をすっかり忘れた『フィルス』から観ようか(失礼!)。