スティーブ・シルバーマン『自閉症の世界』

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 (ブルーバックス)

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 (ブルーバックス)

 

発達障害の世界にスポットライトが浴びせられつつある。例えばアスペルガー症候群ADHD高機能自閉症といった現象だ。各地で NPO 法人が立ち上げられフリースクールなどの取り組みがニュースとなっている。自分の子どもは発達障害なのではないか……そんな風潮を「発達障害バブル」と呼ぶ論客も居る。あまりに数が多過ぎるからだ。安直な診断が為されているのではないか、という疑問の声もある。だが、なにはともあれ発達障害自体が見直されて生きにくい思いをしている人たちが生きやすくなるのは良いことだし、彼らが生み出す独創的な発想やアイデアが有意義なものをもたらすことも確かだろう。だが、そもそも発達障害とはなんなのか? その線引きは何処で為されるべきものなのか?

ティーブ・シルバーマンに依る本書は大著である。講談社ブルーバックスから出版されているのだけれど、ページ数は六百ページを超える。かなりの分厚さだ。読み応えはたっぷりある。中身もなかなか充実している。発達障害を含む特殊な特性である「自閉症」に注目されてその歴史を辿った本書はこれまで私自身(アスペルガー症候群と診断済み)さえも知らなかった有意義な知見をこちらに与えてくれる。しかも最高にスリリングな形で、分かりやすく丁寧にだ。あのオリヴァー・サックスが序文を書いている、と書けば本書に親近感を覚える読者も多いのではないだろうか。「自閉症」の真相に肉薄する試みとは、ではどんなものなのか?

基礎的にはふたりの科学者が同時期に「自閉症」に注目したことを軸として語られる(むろん、それ以前にも「自閉症」はそうと呼ばれないだけで実在していたのだけれど)。ひとりはハンス・アスペルガー。彼については名前は既に有名過ぎるほど有名だろう。もうひとりはレオ・カナー。彼もまた子どもの「自閉症」に着目した人物である。だが、彼らの辿った運命は対照的なものだった。ハンス・アスペルガーオーストリアで研究を重ね、子どもたちの「自閉症」に注目した。彼はナチス・ドイツの脅威に屈しそうになりつつも、今でもなお注目に値する「自閉症スペクトラム」の基礎的なアイデアを――むろん、アスペルガー本人がそうとは名付けはしなかったにせよ――生み出した。だが、彼の論文はドイツ語から翻訳されることなく、ナチスの滅亡と共に眠ってしまった。

もうひとりのレオ・カナーはアメリカで「自閉症」に注目した。カナー自身もアスペルガーの研究成果については把握していたが、自説に都合が悪いからなのか引用することはしなかった。カナーは「自閉症」を狭く捉えていた。子どもの「自閉症」にのみ着目し、その後の追跡調査を行わなかった。だから「自閉症」が(なんなら発達障害が、と言っても良いだろうが)あたかも子どもに特有の現象であるかのように書き、その「自閉症」が生み出された背景には「毒親」の存在があると語った。つまり、育て方が悪かったから「自閉症」になったのだというわけだ。この説が後々まで悪影響を及ぼすことになる。カナーは子どもの「自閉症」の概念をある程度まで解き明かした功績をシルバーマンは認めてはいるが、書きぶりはかなり辛辣だ。

毒親」によって「自閉症」が誕生する……発達障害というワケの分からない現象にはそうした原因があった方が親も救われるのかもしれない。逆に言えば、親に自責の念ばかりを植えつける結果となってしまう。そんな中、アスペルガーの業績はドイツ語が出来る研究者に依って掘り起こされ、やがて再評価される。人間をそんなに簡単に二分化出来るものなのか? もっとグラデーションがあるはずなのではないか……そういった考え方が今では脳科学の世界では常識と化している。診断基準である DSM も基礎的には IV からアスペルガーの業績が「症候群」として取り入れられることになった。これに加えて映画『レインマン』が話題となる。大人の「自閉症」を見事に演じたダスティン・ホフマンの存在が「自閉症」をポピュラーなものにするのだ。かくして今の発達障害ブームへと繋がって行く。

それにしても、と本書を読みながら思う。如何に現代が発達障害者となって生きやすい世界になったか……私自身が子どもの頃はそんな言葉が日本ではまだポピュラーではなかったので、私自身は単に「個性的」「変わってる」子として育てられた。親自身自分の教育方針を疑いながら育てたと私に語ってくれた。今では巷間では「アスペ」という言葉が屈託なく使われて(蔑称としてならまだしも、若い当事者までもが自称している!)彼らは世界最大規模のマイノリティとして独自の文化を生み出している。シリコンバレーで働く人々は多かれ少なかれ「自閉症」の資質を備えているとまで言われている。逆に言えば過去に「自閉症」の人々がどのような虐待を受けたかもつぶさに語られている。読みながらいたたまれなくなってしまった。

字数も良いところまで来たのでこのあたりで切り上げよう。本書を読めばこぼれ話として、例えば「サイエンス・フィクション」というアイデアを生み出し独自のマニアックな文化を築いたのも「自閉症」の人間であることが分かる。インターネットのアイデアも「自閉症」の人物が先取りしていたとも書かれている。やや「自閉症」の才能を過大評価している――つまり、彼らの持つ能力の内秀でた部分だけを拾い出している――ことが凡才である私としては気になるが、翻訳も極めて読みやすく説得力を備えている。本書が有意義な「叩き台」になって生産的に「自閉症」(発達障害を含む)を考える素材になることを私は願っている。