リドリー・スコット『オデッセイ』

監督はあのリドリー・スコットで、原題は「THE MARTIAN」。つまり火星人。火星で行われたとあるミッションで事故に遭遇し、そこで他の五人のクルーから取り残されて独りぼっちになってしまった男が、空気も水もなにもない火星で必死に知恵を絞って生き延びる。そして、彼が生き延びていることに気づいた地球人たちも、やがて組織や人種や国境を超えて結束して助けることを目指す。それがこの映画のプロットである……と書くと単純化し過ぎただろうか。でも、本当にそれだけのシンプルなスジの映画である。

こちらはボンクラな人間なので、「横綱相撲みたいな映画だなあ」と思って観ていてラストで監督が前述したようにリドリー・スコットであることを思い出して脱力してしまった次第。道理でこの映画が匂わせる巨匠感というのか、破綻もない代わりに悪く言えば予定調和的に進んでいくダイナミズムも納得がいくというもの。この映画が流すディスコ・ミュージックにも似ていて、几帳面であり細部まで細かく作り込まれていて破綻がない(もっとも、私は理系の知識がないのでアラは何処まであるのか分からないのだけれど……)。

志の高い映画だな、と思わされた。この映画で流されるディスコは言うまでもなくマイノリティの音楽だ。黒人/アフロ・アメリカンが、あるいはゲイの人々が己の権利を勝ち取るために育てた音楽なのだから。逆に考えればディスコが孕むそういうメッセージ性を抜きにしてこの映画を観てしまうと、面白味が失せるというものだろう。作品自体もまた、何気にアメリカ人/ハリウッドでは撮れそうにない旨味を備えたものとなっているように思われる。端的に言ってしまえば非・アメリカ的でありグローバル的なものなのだ。

どういうことか。この映画はNASAのスタッフたちが主人公なのだけれど、彼らは必ずしも白人ばかりで構成されていない。黒人や移民、中国人やその他の黄色人種といったマイノリティたちが集結することで、それぞれの個性を出し合うことで問題を解決させんと試みる。それはディスコの持つ先述したような混血/ハイブリッドな側面にも似ていて、どうかするとアメリカ一辺倒になってしまいがちな(それは仕方のないことだ。NASAアメリカの組織なのだから)映画に深味を与えていると思う。それはそれで素晴らしいと思う。

だが、褒められるのはそこまで。リドリー・スコットの映画をさほど観ていないし、それ以前にSF映画というものを(いや、もっと言えば「映画」そのものをさほど)観ていないので不勉強がバレるというものだが、この映画からはカタルシスを感じなかったのだ。そこが例えば同じミッション解決モノの『ゼロ・グラビティ』や『インターステラー』といった映画と根本的に異なるところである。手に汗を握らせてくれないのだ。意外性に欠ける、というのだろうか。次になにが起こるのか、大方予測がついてしまう。もちろん、それを踏まえた上でなおも魅せるからリドリー・スコットは凄いのだが。

なおかつ、これは好みの問題になって来ると思うのだけれどこの映画は色気がない。マット・デイモンの生き残りとNASAの人々の優秀さに焦点が絞られてしまっているせいで、期待しているような恋愛/ロマンスの要素がないのだ。もちろんそんなものがなくても映画は作れるのだけれど、その恋愛/ロマンスの甘味を削ぎ落とした代償は何処かで払って欲しかったところ。そのあたりも惜しいと思われる。まあ、このあたりは私が結局は「スジ」の側面からしか映画を観られないせいで来ることなのかもしれないのだけれど……。

結局得られたのは、この映画が(いや、リドリー・スコットは『ブレードランナー』から出直さないといけないと思うのできちんとしたことは語れないが)巨匠が撮った佳作であって、傑作の類ではないという印象だった。むろん駄作ではない。上述したディスコと絡めたグローバルな問題意識、ならびに女性をきちんと描く姿勢は買いだ。難を言えば、もっと女性が活躍してくれればとも思ったのだがこれこそ好みの問題なのだと思うので深くは掘り下げまい。期待していたものを観せてもらえなかったという……猫に小判、というやつなのだろうか。

たまたま個人的に難題にぶち当たってしまっている今、この映画を観たことは大きかったと思っている。製作者のメッセージは伝わって来た。生存不可能なミッションでも、こなせることをひとつひとつこなせればきっと道は開ける。それを説得的に計算高く描いたことは評価したい。だからこそ、もっとこの映画には子どもでも(私のような映画的素人でも)分かるような甘みが欲しかった。逆に言えば渋過ぎる映画なのだ。だからこそこちらを試す映画でもあると思うのだが……そのあたり、なかなか剣呑に感じられた。