ハーモニー・コリン『スプリング・ブレイカーズ』

スプリング・ブレイカーズ [DVD]

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ハーモニー・コリンの名前は知っていたのだけれど、作品を観たことはなかった。そこまでフォローが追いついていなかったのだ。たまたま『スプリング・ブレイカーズ』を観られる環境が整ったので、観てみることにした。観終えたあと唸らされた。なかなか一筋縄では行かない映画だと思ったからである。

スジ自体はそう難解ではない。四人の女子大生の話だ。といっても、彼女たちの外見や言動から判断するに、こちらで言うところの「ティーンズ」に該当するかもしれない。つまり、そんなに大人びた要素はない。ともあれその女子大生が、「スプリング・ブレイク」(春休み)を迎える。知られる通りアメリカの大学は秋に始まる。だから日本の大学生にとっての夏休みに似ている、と言えば良いだろうか。

その「スプリング・ブレイク」で、彼女たちは退屈な大学生活や代わり映えのしない日常生活から逸脱したいと考える。これは別段異常な心理でもなんでもないだろう。その彼女たちが行うのはしかし、なんと強盗なのだった。水鉄砲を使ったあまりにも稚拙な強盗は、しかし成功してしまい彼女たちは「スプリング・ブレイカーズ」として浜辺でクラビングに興じ、ドラッグや酒に溺れる。だが彼女たちは逮捕される。有名なギャングのボスが彼女たちの保釈金を払い解放させるが、そこから四人の運命は狂っていく……これがプロットである。

観ながら、例えばソフィア・コッポラ『ブリングリング』のような映画を想起した。同じ女性たち(叱られそうな言い方を敢えてすれば、女の子たち)の強盗ないしは無軌道な青春を描いていたから、というのがあるだろう。だが、『ブリングリング』とこの映画は決定的に違う。それはこの映画が、メッセージ性を備えていないことにある。

『ブリングリング』には四人のティーンズのギャングたちに纏わる諸々を描いてメッセージを放っていた。それは有名になりたいとかお金持ちになりたいとか、もっと掘り下げればセレブになれない貧乏な私たちって辛い、といったようなことだ。たかがその程度かよ、と脱力されるかもしれないが、しかし社会派的に告発する作りではあった。

スプリング・ブレイカーズ』にはそのメッセージ性はない。あるとするなら、永遠の「スプリング・ブレイク」に興じたいというものだ。勉学や労働の義務から解放されて、抑えつけていた自分自身を開いて、もっともっと堂々と自分らしく羽根を伸ばして生きたい、というもの。つまり、青春/モラトリアムが永遠に続くようにという願望が丸写しになっている。裏返せば、それ以外の主張はない。

だから、この映画では例えば白人のギャングのボスとアフロ・アメリカンのボスとが対立する場面が描かれるが、それが人種差別を告発したり社会的な構造の問題を暴露するという方向には至らない。あたかも一筆書きみたいに、ステロタイプなイメージに寄りかかって語られるのみだ。だからこの映画のギャングたちは酷く薄っぺらく描かれる。ワルの匂いがあまり漂わないのである。その帰結として、この映画は実にお伽噺めいたものとして成立している。

永遠に「スプリング・ブレイク」を続けること……そんなこと出来はしない。いつまでもスプリング・ブレイク/夏休みを生きたいという願望は、本来なら現実という壁にぶち当たり壊されなくてはならない。実際、この映画では「スプリング・ブレイク」を諦めて故郷に帰っていく女の子が登場する。だが生き残った女の子たちはふてぶてしくボスの「相棒」にまで昇り詰める。このあたりも実にお伽噺的だ。

いつまでも「スプリング・ブレイク」を続けてはいられない、という肝腎な問題をこの映画はスルーしてしまう。それがどうなるかは観てのお楽しみということにしておくが、結局彼女たちに良い人生が待っているとは思われないなんとも苦しいエンディングとして成立しているように映る。リアリティを犠牲にしてでも描きたかったその「スプリング・ブレイク」の生々しさは流石に良く出ている。具体的には音楽の使い方が巧い。クラビングに興じる彼女たちを包む EDM が無機的でありながら扇情的でそのあたり奇妙なエロスを生み出している。

ハーモニー・コリンは『ガンモ』という作品の評価を読んだくらいでその作品を観たことがなかったのだけれど、この音楽の使い方からして只者ではないと思わされた。『ガンモ』や『KIDS』を観てみる必要がありそうだ。彼が描こうとしているのはちゃちな社会派のメッセージではなく、自分自身のモラトリアム願望を剥き出しにしたいという欲望なのだろう。例えば『ドニー・ダーコ』のようなこじらせた映画が好きな方ならすんなり受け容れられるのではないかと思う。

彼女たちの未来はどうなるのだろうか。この映画では肝腎の「死」がそれほど生々しく描かれない。彼女たちの未来が明るいわけではあり得ないのに、惨劇を見せつけられるようなショックをも感じさせない。その意味で悪く言えば「ぬるい」。だが、その「ぬるい」感じが魅力的とも言える、困った作品だと思わされた。