ジャン=リュック・ゴダール『勝手にしやがれ』

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観終えたあと、溜め息をついてしまった。もちろんそれはつまらなかったからではない。逆だ。この映画に洗練を見出してしまったからだ。ヒップなものを寄せ集めたらこうなった、というような映画みたいに感じられた。流石はジャン=リュック・ゴダールと言うべきか。

ストーリーらしきストーリーは存在しない。男と女が居る。ミシェルという名の男は警官を殺して、追われている身である。そんなミシェルに、ジャーナリストのパトリシアという女性が惚れる。彼らが痴話喧嘩めいたことを延々と続けつつ、逃避行を繰り広げる……というB級活劇ないしはラヴロマンスのような映画だ。

ゴダールの映画は難解だと言われている。それは確かにそうなのだろうと思う。一度しかこの映画を観ていないので理解出来たかというと難しいところだけれど、例えば渋谷系と呼ばれるミュージシャンの映画や岡崎京子の漫画、もしくは小西康陽の文章にも似たイキなものの寄せ集めという印象を抱いてしまったのだ。敢えてこちらの安易な理解を遠ざけようとするかのように噛み合わない会話が繰り広げられ、ロマンスは脱臼したテンポで語られる。だから従来のロマンスという映画では括れない出来栄えとなっているように感じられる。

しかし、そういう安直な理解を超えてソウル/マインドにダイレクトに伝わって来るようななにかがあることもまた確かなのだ。それがなんなのか、初見なので分からないでいる。ともあれ、車と男と女という三点セットの組み合わせでこれだけの映画を作れるセンスは脱帽というしかないだろう。片岡義男の小説を思い出しながらこの映画を観ていた。悪く言えばそれだけ「良く出来た」「ウェルメイドな」映画というわけではない。逆だ。ギャグは滑っているし、初歩から撮り直せと言いたくなるほど散漫な出来にも感じられる。

もちろん、その滑り具合とか完成度の低さもゴダールが「狙って」撮っていることは間違いがないので悩ましいところ。敢えて「良く出来た」「ウェルメイドな」映画を拒否して、自身の感じるままにヒップなものを寄せ集めた感じ/感覚こそがこの映画の持ち味である。通ならきっとそのヒップな感覚に惹かれるはずだ。この感覚、理解出来るだろうか。なにはともあれ前衛的/アヴァンギャルドなことをやっているその精神は理解出来る。『気狂いピエロ』でもそうだったが、第四の壁を破っているところも評価したい。私は『気狂いピエロ』ほどにはこの映画を買わないのだけれど。

そんなところだろうか。ジャン=リュック・ゴダールに関しては本当にシネフィルが口を揃えて絶賛し、村上春樹ゴダールは若い内に観ておくべきというようなことを語っていたので『気狂いピエロ』を観て――当時の鑑賞ペースは年に二本か三本という体たらくだった――見事に玉砕したので、ゴダール嫌いが続いてしまっていた。ゴダールはそういう私の体験/経験を踏まえて言えば、ある程度映画を見慣れて「お約束」を分かった人が楽しめる娯楽なのではないかと思う。「お約束」の外しぶりがゴダールの美徳なのではないか、と。

私自身ゴダールは『アワーミュージック』と『気狂いピエロ』、そしてこの『勝手にしやがれ』を観た程度なのでこれから『ウィークエンド』のような作品にも挑んでいきたいと考えている。いや、ゴダールは侮れない。佐々木敦の論考も読みたいし、何故皆が口を揃えてゴダールを絶賛するのか、その理由の片鱗を掴めたような気がした。ただ、私の好みで言えばトリュフォーの方が好きだし、そもそもヌーヴェル・ヴァーグについて不勉強が祟ってまともに評価出来ないので、これから中年の楽しみとして大事に観ていこうと考えている。

ショットの美しさで言うならスタンリー・キューブリックアンドレイ・タルコフスキーの方がはるかに上だし、ストーリーテリングならフランソワ・トリュフォーやもっと下の世代の監督なら活劇という意味でクエンティン・タランティーノのような作家とは全然違う。その意味で、いわゆる「巧い」作家であるとは思わない。ただ、「巧い」とは違った判断基準を作り上げた凄味こそがジャン=リュック・ゴダールの映画なのではないか……と、三本しか観ていないのだけれどそんなことを考えてしまった。これはしてやられた、と思わされた。

ともあれ、老後の楽しみに取っておこうと思って敬遠して来たゴダールを観て来たわけだけれど、これからどうしようか。山田宏一『友よ映画よ わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』のような本から学ぶべきなのだろうか。私は口が裂けても自分がシネフィルだとは言えないのだけれど、ここまで来たらいっそのこと今からでもゴダールの世界にどっぷり浸かって行くのも悪くないのではないかなとも思っている。いや、『勝手にしやがれ』の精神に倣って自分も奔放に映画を観ようか……映画鑑賞ににライセンスなどないのだから。