フェデリコ・フェリーニ『甘い生活』

甘い生活 デジタルリマスター版 [DVD]

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物草なもので、フェデリコ・フェリーニ甘い生活』もこの年齢になって初めて観た。だから纏まったことなどとても語れないのだけれど、初見で気になったところをメモとして残しておくことにする。『道』『フェリーニのアマルコルド』と面白かったので期待したのだけれど、結論から言えばアテが外れた、というのが正直なところだ。

甘い生活』にスジらしいスジはない。今で言うところのセレブの生活が描かれる。主人公は文筆業で糊しているらしい。そんな彼をめぐる女性たちの物語、と言えば良いだろうか。私の致命的な弱点として、ストーリー展開からしか映画を語れないというのがある。だからフェリーニのショットの美しさを私は説明出来ない。そこが限界だ。

そんな私なのだけれどともあれ語れることから少しずつ語っていこう。フェリーニは基本的に即物的に死を呆気なく描く監督であることは『道』『フェリーニのアマルコルド』で知っていたつもりだが、それはこの映画でも健在だった。登場人物は呆気なく死ぬ。まるで北野武の映画のようだ。

北野武フェリーニに共通項があるとするなら、それはふたりとも絵を描く人物であり従ってふたりともヴィジュアルの人だったということになるのだろう。この映画でも目を見張るショットは存在する。なにより女性の描き方が艶めかしい。時代が時代だけに女性が脱ぐとか派手な濡れ場があるとかそういうわけではなく抑制されたエロティシズムに終始しているのだけれど、それが逆に上品さを感じさせるから不思議だ。『甘い生活』は女性たちの映画だ。男たちは比較的存在感が薄めで、女性の活躍が際立つ造りとなっている。

女性たちと言えば、フェリーニはこれまでも女性を魅力的に描いて来た。『道』のジェルソミーナ、『フェリーニのアマルコルド』の女教師や映画スターやタバコ屋の店主、そしてこの『甘い生活』の女優や娼婦たち。女性を描かせるとフェリーニのカメラは冴える。彼女たちを観ているだけでも幸せな気持ちになれる。

裏返して言えば、この映画はそんな女性たちの頑張りによって支えられているところが大きい。だから、彼女たちに感情移入出来なければこの三時間もある映画はついて行くのが至難の業となるだろう。『道』のようなヒューマン・タッチな映画を期待して観たので、その意味ではあまり感心しなかった。

フェリーニの作品はまだまだ未見のものも多いので、それらを観てからこの映画にもう一度挑んでみられればと思っている。『甘い生活』に興味を持った切っ掛けのひとつとして村上龍の『村上龍映画小説集』にこの映画が登場するからというのもあったのだけれど、モノクロームの映画の中から色彩美を読み取れる能力――つまりモノクロの映画をカラーの映画を観るようにして観られる能力――があればまた違って来るのかなと思われた。私はそういう能力がないので、モノクロの映画を楽しめないのだった。ルビッチは別なのだけれど……。

イタリアの映画はヴィットリオ・デ・シーカ自転車泥棒』程度しか観ていないのでここでもお里が知れるというものなのだけれど、『自転車泥棒』のようなリアリズムに徹する姿勢はない。この映画は何処となくお伽噺にも似ている。あり得ない展開をあり得るように見せる……フェリーニは嘘つきとして知られていたそうだけれど、むべなるかなと思ってしまう。この映画もフェリーニの自伝的映画として受け取ると火傷を負うだろう。まあ、ビルドゥングスロマンとして観ればなかなか面白いと思われるのだけれど……。

そんなところだろうか。雨の中、子どもたちが聖母を見ようと必死に祈るところが圧巻で、そこでこの映画の最初の死が訪れる。フェリーニの映画の死はしかし、どんなドラマ性も欠いている。それはさっきも素描した通りだ。人は呆気なく死ぬ……そんな冷徹な視線が、この映画からも感じ取れる。

フェデリコ・フェリーニ……なかなか曲者と見た。出来ることなら北野武に影響を及ぼしたと言われる『8 1/2』も観たいところなのだけれど、時間があるかどうか……いや、無理にでも時間を作って観てみたいところだ。きっと退屈はしないだろう。いずれ借りようと思っている。

甘い生活』は表現というか風俗の描写においては古びているが、人物の美しさや心理ドラマという点では古びていない。これは驚くべきことではないだろうか。彼の映画が時代を超えて愛されるのも、この映画が孕む強度故のものであることがはっきりしたのが収穫だった。

図書館でフェリーニ関係の本を幾つか借りて来たので、纏まった形で読んでみようかと思っている。フェデリコ・フェリーニ……調べれば調べるほど難しい監督だ。シネフィル的なところがなく、全てが分かりやすく作られておりフラットでまったりと進む。そこで点が個人的に低くなる原因なのかもしれない、あくまでドラマ性を私は好む、その意味で、苦しくなかったかと言われれば嘘になる三時間だった。