リチャード・リンクレイター『スキャナー・ダークリー』

スキャナー・ダークリー 特別版 [DVD]

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観ながら、何処か退屈さを感じた。だからこの映画は凡作と……思わなかった。興味深い問いを投げ掛けている作品であると思われた。だが、それがエンターテイメント精神と絡み合っていないというか、歯車がイマイチ噛み合っていないので失敗作になったのではないかと思われたのだ。

近未来、「キャンD」と呼ばれるドラッグが出回っている。そのドラッグを取り締まるべくひとりの捜査官が囮としてジャンキーたちと暮らすことになる。彼は「キャンD」を呑むことにもちろん否定的だったが、交流が深まっていくにつれて口にするようになる。やがて彼を取り巻く現実は悪夢のように変化する……というのがプロットだ。

と書けば、例えばデヴィッド・クローネンバーグの『ビデオドローム』のような作品を想起されるかもしれない。あるいはデヴィッド・リンチでも良い。だが、この映画はそういう豪華絢爛なヴィジョンでこちらを引っ張っていく類の作品ではない。全編(表現の工夫を凝らして)実写にアニメを被せているが、ヴィジュアル面で取り立てて新しいことは為されていると言い難い。ではなにが映っているのかというと、口が達者なジャンキーたちの、意外にもまったりしたマイルドな日常だ。彼らがどれだけボンクラなのかが重点的に描かれる。

ここで告白すれば、私はさほどリチャード・リンクレイターの映画を観ていない。せいぜい『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』と『6才のボクが、大人になるまで』くらいだ。だから不勉強の誹りを免れ得ないだろうが、リチャード・リンクレイターの関心は悪夢的世界を描くところにはなかったのではないだろうか。『エブリバディ・ウォンツ・サム!!』がボンクラな大学生の日常生活を描くことに腐心していて、『6才のボクが、大人になるまで』が男の子の成長を素朴に描いていたのを考えると、そう推測するしかない。

私は(これもまた不勉強を露呈させてしまうが)フィリップ・K・ディックによる高名な原作も読めていない。むしろディックに関してはとある不幸な出来事から食わず嫌いを決め込んで読んで来なかった。だからこれもまた推測になるのだけれど、ディックが描こうとしている世界をリチャード・リンクレイターは「悪夢」と「日常」に照らし合わせて、「日常」に比重を置くことを決めたのではないか。そう考えれば、この映画の何処か間延びしたかのような感覚がしっくり来るのだ。つまり、端的に言えば本当に素朴にジャンキーたちのマイルドなパッパラパーな日常がここにある。

いや、「悪夢」的にスリリングなところもあるのだ。それは後半で明らかになる。だが、それがクローネンバーグやリンチの域に達していないことは既に説明した通りだ。あるいはこの映画は一応は囮捜査官がドラッグにやられて、全ては自分を巻き込んだ壮大な陰謀であったことが知らされるというそんな破滅の映画であることも指摘しておく必要があるだろう。このあたりの裏読みに裏読みを誘い、こちらを試す先の見えないストーリーテリングも終わってみればなるほどスリリングなのだが、如何せんそう解釈するにはやはり間延びした日常を削って欲しかったところ。

だから、ディックを語るなら必ずしも触れなければならない「私が自分を正気であると保証出来るものはなにか?」「私とは誰なのか? それをどうやって証明するのか?」というアイデンティティの問題に関してもこの映画はきちんと触れている。ディックが絡む映画が必ず観衆に投げ掛ける類の問いであり、それはリチャード・リンクレイターも削っていない。そこは誠実な態度だと思う。だからこそ、失敗したかなとも思うのだ。単純な人選ミスなのか、それとも……いずれにせよ惜しい出来栄えであると思われた。この問いがもっと深まっていれば、と。

だが、観ながら私自身(ここから自分の話をするが)そんなボンクラなジャンキーたちのマイルドでパッパラパーな日常を他人事として受け取れたかというと、さにあらず。有名なことだと思うが、ディックはドラッグでダメになった人々――死ぬか、もしくは廃人になった人々――のことを回想してこの作品を残している。言うまでもないがディックもジャンキーだったわけだ。私自身酒に溺れた紛れもないジャンキーだったので、立ち直れなくなるまでドラッグに溺れた人たちのダメっぷり、クズっぷりを突きつけられたのは痛い体験だった。

とまあ、惜しい映画だと思われた。だが、駄作だとは思わない。ディック的な「悪夢」を期待して観るなら、見事に肩透かしを食うだろう。しかしディックが生きていた「リアル」を知る意味でなら、この映画を試してみるのも悪くはない。少なくともリチャード・リンクレイターはその「リアル」をヒリヒリするほど生々しく――実写あるいはCGでないところが何処か人工的過ぎて好きになれないのだが、それであってもなお――描いていると思う。その手腕に、イーサン・ホークが出演している三部作を観たくさせられてしまった。