ポール・トーマス・アンダーソン『マグノリア』

 

字幕では補えなかったようだが、この映画では見逃すには惜しい場面が登場する。登場人物が夜中にドライヴしている時に車窓から見える電飾看板のサインだ。そこにはこう書かれている。「EVERYTHING MUST GO」。直訳すると「全ては過ぎ去るべき」。もちろん「売り尽くし」というニュアンスで訳すべき言葉なのだけれど、二度目にこの映画を観た時もこの場面で呆気に取られてしまった。この映画に込められたポール・トーマス・アンダーソンという監督のメッセージが凝縮されているように思われたのだ。それがなんなのかを探っていきたい。

舞台はとある一日。クイズ番組が行われている。天才少年と大人が戦う番組だ。その番組で圧倒的な強さを見せる少年、そしてかつてはその番組に出場して発揮していた知性を事故で失ってしまった老いぼれた男、クイズ番組の司会者、大富豪(クイズ番組の関係者)、自己啓発セミナーの運営者、大富豪と犬猿の仲の娘、警官……といった人々が集って起こる群像劇だ。例えばポール・ハギス『クラッシュ』みたいな映画を連想してもらえれば有難い。彼らが微妙な人間関係を織り成す中、繊細にストーリーは語られることとなる。

誰もが誰もの人生に不満を抱いている。天才少年は自分がクイズに勝たなければならないプレッシャーに苦しみ、老いぼれた男は自分が荒んだ生活を送るまで堕したことを嘆く。ガンで身体を蝕まれている司会者も大富豪も娘や息子(書かなかったが、大富豪の息子は自己啓発セミナーの運営者だ)の身を案じ悩んでいる。ドラッグをやりまくる女と彼女の良き話し相手になろうとする警官、大富豪を愛していないのに遺産が自分のところに入るかもしれないパラドックスで悩んでいる妻……誰もがそれぞれの人生におけるしがらみに苦しめられている。

この映画は従って、そんなしがらみやもしくは積み上げて来た過去をどう扱うかという話に落ち着くのかもしれない。人間は――誰もが知るように――自主選択でこの世にうまれてきたわけではない。気がついたら生まれて来ていたのだ。その不条理、と書くと幼稚に感じられるかもしれないが、生きている限り自分自身の肉体や数々の愚行に束縛されることとなる悲劇は、今一度確認しても遅くないだろう。私だって書かないだけで数々の「黒歴史」を背負って生きている。それが私の背に重く伸し掛かるのを感じるのだ。

でも、とポール・トーマス・アンダーソンは語る。それでもなお生きなければならない。人は愚かしい存在であり、誤ちを犯しその罪を恥じなければならない存在である。だけれども、それでもこの世の中はワンダフルであり生きるに値する、と。ラストで描かれる奇蹟はそういうメッセージの産物ではないだろうか? そう考えると、私たちは世界から祝福されているかのように感じられる。この世の中には理を超えて私たちを見守ってくれているものが存在する……そんな「リベラル保守」な映画なのではないかと思ったのだ。

沢木耕太郎だったか、本作を指して「人工的」と評していたのを読んだ記憶がある。そんなものだろうかと首を傾げたのだけど、改めて観てみれば作為が透けて見えるきらいはある。ストーリーを巧みに誘導するべく様々なところで強引な展開が施されており、それが何処か言葉にならない違和感をもたらすものになっていると思われるのだ。まあ、合理性を突き詰めていけばフィクションなんて成り立つものではない。あり得ない事柄/事件にあり得る事情を肉付けすること、それが優れたストーリーテラーの役目だ。その意味ではポール・トーマス・アンダーソンは優れている。

だからこそ、この映画に関してはどう対処したら良いのか分かりかねるのも事実なのだ。メッセージ性を伝える/読み取らせるだけなら三時間を超える尺の長さは不必要だろう。もっと削れる部分を削って説得的にことを運ぶ計算高さがポール・トーマス・アンダーソンにないとは思われない。そう考えると、この映画のキモは意外とそういうメッセージ性に収斂されない細部の煌めきなのではないかとも思われる。だとしたら、この映画の細部、つまり人々の描き込みはやや弱い。彼らがどういう来歴の持ち主でどういう心理を抱いているか、必ずしもオリジナリティないしは説得力を以て描かれているとは思われないのだ。その意味で弱くなる。

とは言え、この映画を単純に斬って捨てるつもりもない。絶望のどん底に突き落とされた人、精神の病をこじらせてしまった人ならこの映画が放つ絶望的なメッセージ、つまり「wise up」というエイミー・マンの言葉を読み取って癒やされると思われるからだ。その意味では確かに優れものとも思われる。私はポール・トーマス・アンダーソンの映画は他には『ブギーナイツ』しか観てないので、ここでも不勉強がバレるのだけれどなかなか楽しい鑑賞経験だった。『インヒアレント・ヴァイス』あたりを近々観てみようかと思う。