クリストファー・ノーラン『インターステラー』

クリストファー・ノーランの映画は不思議だ。とはいえ、その不思議というのはスタンリー・キューブリックの映画――特に『2001年宇宙の旅』――が難解だという意味での不思議ではなく、デヴィッド・リンチの映画が訳が分からないという意味での不思議でもない。キューブリックと比べるとノーランの映画は理に落ちるところがあり、説明も過剰なほどで分かりやすい。また、リンチと比べるとノーランの映画はそんなにあざといガジェットをばら撒いてこちらを混乱させる類の映画ではない。だからこそ、観終えても「どういうことなんだろう?」という不可思議さがこちらに残るように思うのだ。

インターステラー』を久し振りに観直した。これで二度目の鑑賞になるのだけれど、一度目に観た時は難解だという印象を抱いて、それで忘れてしまっていた。そんなに心に響かない映画だったな、という……二度目に観た今回もやはり、「心に響かない」という印象は変わらなかった。少なくとも『2001年宇宙の旅』ほどには私はこの映画を愛さないだろう、と。だけれども、優れた達成を示していることには変わりはないと思った。良い意味で、ここまで大風呂敷を広げてそれを畳めるのはノーランだけだろうなと思ったのである。

絶滅の危機に瀕した地球で、とある出来事から極秘裏に研究が行われているNASAに元操縦士にして今は農業を営んでいる男が辿り着くところから話は始まる。NASAが行っていたのは、この星以外に居住可能な惑星を探すというミッションだった。娘と生き別れになることを覚悟で、マシュー・マコノヒー演じるクーパーは宇宙船に乗り込む。斯くしてクーパーと、同乗していたアメリア(アン・ハサウェイ)、その他の飛行士の冒険が始まる……というのが主なプロットだ。全編169分、なかなか密度の濃い内容の映画だと思う。

ワームホール、五次元、その他理系の知識がないとついていけないような事柄が沢山現れるが、私自身はバリバリの文系なのでそのあたりさっぱり分からなかったのだけれどそれでも楽しめることが出来た。こちらに分かりやすく、しかも説得力のある形でストーリーを紹介してくれるあたりは何度も繰り返すが「流石ノーラン」と思われる。だが、そのストーリーの壮大さに騙されてはならないとも思う。素直に読み取れば、これは別段難しい映画ではない。むしろ愚直にひとつのメッセージを伝えんと試みた映画だと思われる。それは「愛」とはなにか、という問いだ。

幾つもの愛が登場する。クーパーと、愛娘マーフィーとの愛。クーパーが地球人を生き延びさせたいと試みる愛、クーパーとアメリアの間の愛、アメリアが愛する遠い惑星に居る男の愛……どれもこれも、この上なく分かりやすい愛だ。だから、この映画はサイエンス・フィクションの意匠を纏ったラヴ・ストーリーとして鑑賞するのが最適なのだと思う。だから難しい理屈を知らなくても楽しめる。極上のエンターテイメント、と言っても良いのだろう。気の利いた台詞回しも良いし、その他諸々の情報はこちらは軽く受け流してロマンスを楽しめば良い。

逆に言えば、ロマンスを楽しむための映画なので宇宙に関する考察やガジェットが何処か既視感を伴うものばかりであることが鼻につかないでもない。『2001年宇宙の旅』の映像美と演出の凄味をこの映画に期待すると肩透かしを喰らわないでもないだろう。ノーランは映像美で魅せる人なのか? サスペンスの旨味でこちらを魅せる人なのか? そのあたり、今回の鑑賞では判断出来なかった。これは観衆としてのこちらの限界だと思うので、今一度「ノーランは演出が巧いかどうか?」という観点から映画を観直していく必要があるようだ。

愛をめぐる、宇宙を舞台とした壮絶な映画……として捉えると上述した理由により、確かに五次元のヴィジョンを見せてくれたり凝った仕掛けが施されていたりで楽しめる。それは認めるに吝かではないが、宇宙の描写と愛の描写というふたつのテーマが一緒に語られるので、一方では壮絶な規模のドラマが描かれる反面一方では極めてパーソナルなドラマが描かれるという矛盾に陥っているようにも感じられる。このあたりを、キューブリックがそうしたようにヴィジョンだけ提示してあとは語らないで逃げる……としなかったところにノーランの誠実さを見るべきなのかもしれない。

だからこそ、謎がないからこそこの映画はこちらに解釈の余地を残さない。この映画がノーランの提供する情報で唸らせるものであるのは確かだが、ノーランの世界をこちらが受け容れて更に妄想を膨らませて解釈で遊ばせる類のものではないこともまた確かである。つまり、謎がなさ過ぎるのだ。だから、面白いことは面白いしウェルメイドではあるのだけれど、『2001年宇宙の旅』ほどには爪痕を残すような映画ではないかもしれない。そのあたり、今後この映画がどう受容され影響力を残すのか楽しみに観察したいと思っている。