睡蓮みどり『溺れた女』

溺れた女: 渇愛的偏愛映画論 (フィギュール彩)

溺れた女: 渇愛的偏愛映画論 (フィギュール彩)

 

真摯な、という言葉がしっくり来る。本書を読んでいてまず思ったのはそういうことだ。この本はなによりも、映画を好きで好きで仕方がない人が書いた本なのだ、ということ。そういうパッションの強度にまず心を掴まれたのだった。そういうパッションは届くものだ。少なくとも私には届いた。前に紹介した真魚八重子氏の著作同様、この本は映画がないと生きていけない人が書いた本なのだと感じたのだった。

睡蓮みどり氏は私よりひと回り年下だが、映画に関する造詣は深く若いながらも貫禄のある筆致で近年の映画について語ってみせる。それでいて映画の勉強量を自慢する類のものとして本書は成り立っていない。そんなスノッブで器用な立ち回りを演じられるような人ではないだろう。失礼な言い方になるが、睡蓮氏は何処までも不器用だ。情報を披露するのではなく、その映画を個人的なインパクトとしてどう受け留めたか。それが綴られるのである。だから悪く言ってしまえば本書は自分語りの暑苦しい本である。だが、それが「悪い」なんて誰に言えるだろう。私はその自分語りが充分に読ませる強度を孕んでいると思わされた。睡蓮氏は小説も書いているそうだが、それも読んでみたいと思った。

読みながら、私自身の不勉強を痛感させられたのが正直なところだった。『世界にひとつのプレイブック』、『ニンフォマニアック』、あるいはグザヴィエ・ドラン……観ていない映画が沢山ある。そして、辛うじて観ていた例えば『永い言い訳』に関しても「こんな観方があったんだ」と唸らされる分析を施している。映画批評と言えば蓮實重彦氏が居たり町山智浩氏が居たりするわけだが、どちらの系譜にも位置しない、徒手空拳で映画とガチンコ勝負で挑んでいる姿が見て取れる。これもまた失礼な言い方になるが、ボキャブラリーを必死に駆使して白紙の状態から言いたいことを捻り出している姿が生々しく迫り上がって来るのである。

御本人が読まれれば気分を害されるだろうことを、敢えて書こう。睡蓮氏はアカデミックな意味での頭の良さとは無縁だろう。むしろストリートワイズというか、地頭の良さで勝負してみせる。学校でお勉強しました、という意味での賢さではなく映画を個人的な体験として咀嚼してそこから拙いなりに(失礼!)言葉を必死に吐き出している。だからまた悪く言えば本書は芸がない。遊び心というものがそれほどない。パッションを頼りに、思ったことを切実に書いている。その不器用さ、拙さ(むろん、先述したように映画に対する情熱と勉強量はかなりのものだが)がこちらにイヤミなく届いて来るのである。これは著者の美点だろう。

睡蓮氏の存在は知らなかった。たまたまジュンク堂書店で棚の中に一冊本書が刺さっているのを手に取り、選ばれているラインナップが私の興味を惹くものだったので購入したのだった。読みながら、何度も書いているが睡蓮氏の真摯な筆致に唸らされたのだった。思わぬ掘り出し物を得たと思った。あまり読まれている本ではないようだが、前にも書いたが真魚八重子氏の著作が好きな方ならハマるのではないか。『映画なしでは生きられない』『映画系女子がゆく!』といった著作と同程度には読まれるに値する本である、と断言しても良い。この著者の次作を(森下くるみ氏との共著らしいが)早くも楽しみにしている。

私自身本書を読み、観たい映画が増えてしまった。まずなによりもグザヴィエ・ドランを観たいと思ってしまったのだった。恥ずかしながら未見なので……ここまで映画に対して情熱を注げる著者を羨ましく思ってしまった。私はなにかをそこまで愛することが出来ているだろうか……こうしたシロウトのレヴューを書いている身として、本に対する愛情は持っているつもりだが睡蓮氏のパッションを目にして改めて恥じ入っている次第である。この著者はまだ若い。これから伸びて行く可能性は大いにある。また断言する。五年後にはこの著者の名前は無視し得ないものとして知られることになるだろう。逆に言えば、チェックするなら今のうちに、だ。「買い」と言えるだろう。

私自身映画の世界に入ってまだまだ日が浅いので、そんなシロウトの私にも届く言葉で語る睡蓮氏の言葉に誘われてもっと映画を観ようと思わされた。まずは借りっぱなしの『0.5ミリ』『メッセージ』を観てみようか……日本の映画も海外の映画も満遍なく(ただ SF 映画が少ないのが気になるが)観ている睡蓮氏のフォローの領域は広い。どんな映画にも偏見を持たず、繰り返しになるがガチで勝負している姿勢は立派だ。権威に頼ることなく、ちきりん氏の言葉を借りれば「自分のアタマで考えた」レヴューは、愛好家(また悪く響くかもしれないが、真の意味での「アマチュア」)の筆致として届く。いや思わぬところで凄い本を見つけてしまったものだ。本書がこの駄文を介して多くの方に届きますように、と祈っている。