ドゥニ・ヴィルヌーヴ『灼熱の魂』

灼熱の魂 [DVD]

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この作品から始まっていたのか、と思った。ドゥニ・ヴィルヌーヴの「女性」へのこだわりは、と。そして、これが後の『ブレードランナー2049』『メッセージ』への布石になっていたのか、と思われたのだ。デビュー作らしいが、なかなか堂に入った出来となっている。

レディオヘッド「You And Whose Army?」が効果的に使われる冒頭部分から、相変わらず静謐なタッチで描かれる彼の映画の中に引き込まれてしまった。正直に書くと、さほど感心しなかった。ストーリー展開がややぎこちない感があるし、テンポもさほど良くない。少なくとも後の『ブレードランナー2049』『メッセージ』のテンポを期待して観ると、肩透かしを食らうだろう。あまり彼が使い慣れていないカットバックを使っているせいか、頭で計算した映画という印象をどうしても受けてしまうのだ。だが、駄作では断じてあり得ない。

ストーリーは次のようになる。双子の姉弟が、母親の死に立ち会う。そこで奇妙な遺言に出くわす。それは、姉弟の父と兄を見つけてあらかじめ用意していた手紙を渡せ、というものだった。姉弟はその遺言を守りレバノンと思しき場所に飛ぶ。そこは銃弾の飛び交う恐ろしい場所だった。姉弟は父と兄を探す過程で母の人生の足取りを追うことになる。母の人生は即ち、凄まじい地獄を生き抜いた人生でもあったことが明らかになる。そして、姉弟は自分たちの父と兄が誰だったのかを知ることになる……これが要約である。

この映画の主人公は母親ナワルである。彼女は暗殺に手を染め、そして投獄される。そこで拷問に会い、拷問人の子どもを身籠る。その子どもが兄であり、あるいは……という風にストーリーは転がっていく。前にも書いたことがあるのだけれど、ナワルの逞しさに『ブレードランナー2049』『メッセージ』『プリズナーズ』のような映画に登場する女性の逞しさを重ね合わせることも可能だろう。『ブレードランナー2049』での上司の女性、『メッセージ』の女性言語学者、そして『プリズナーズ』でも鍵を握るのは女性なのだった。

そう考えて行くと、ドゥニ・ヴィルヌーヴのブレなさに驚かされる。彼はもしかすると今最も「フェミニンな男性監督」なのではないかと思われるほどだ。そして、彼がナワルの人生を通して描こうとしている中東情勢が、こちらの俗情に媚びることなく表現されていること、もしかするとタルコフスキーにも似ているかもと思われるほど静謐なタッチで描かれていることもまた、彼のブレなさを示しているかのようである。同じ監督が撮ったのだから当たり前、と言われればそれまでだ。だが、ブレないで居つつかつ変化する時代に対応するということが極めて難しいこともまた、自明だろう。

レディオヘッドを好む監督らしく、うざったくならない程度に綺麗に彼らの曲を用いている。中東の映画なのだから西洋の音楽を流すのは如何なものか、という異論もあり得るかもしれない。だが、それも計算済みで行われていたことがインタヴューで知れた。私自身レディオヘッドは好きなグループなのだけれど、こういう風に効果的に使われるとさほど名曲とも思っていなかった「You And Whose Army?」が優れた曲であることが分かり、これもまた驚かされる。この批評眼は信頼出来ると思った。これもまた今回の鑑賞の収穫だった。

ネタを割り過ぎない程度に割ると、最終的にはオイディプス王の悲劇めいた事実へと至る。それを知ることはしかし、カナダに住む姉弟と中東を生きた兄がその土地で起きた葛藤/ストラッグルを知り、そして赦し合うことに繋がるだろう。そう考えるとラスト・シーンは希望の誕生なのかもしれないな、とも思う。くどいが、そこに辿り着くまでのテンポは必ずしも良いとは言えないと思う。ぎこちない語り口で、なかなか進まないストーリー展開に突き合わせられるのでイライラすることもまた確かなのだ。そう考えるとこの監督の「化ける」前の映画、と言えるのかもしれない。

ともあれ、何度でも書くが愚作ではない。私自身中東和平問題に対してさほど知識を有していなかったので、この映画を観たことは勉強になった。女性であろうと、子どもであろうと容赦なく殺し、あるいは彼らに人殺しを命じる。殺し合いが日常茶飯事な日常を生きる人々が確実にここに居る……そんな現実を私たちに教えてくれる映画として、この映画は侮れないと思われた。それだけは確かに言えることだ。ドゥニ・ヴィルヌーヴ、次はどんなものを撮ってくれるのだろう。それを待ちつつ、『渦 官能の悪夢』を観てみたいと思う。

フェミニンな男性監督、と書いた。彼が撮る映画を本格的に論じられるフェミニストは居ないものか? 私はフェミニストではないのでそのあたりのことは語れない。そんな情けない事実をカミング・アウトして、この文章を〆ることにしたいと思う。