アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』

サクリファイス [DVD]

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アンドレイ・タルコフスキーサクリファイス』は、彼自身の遺作に当たる。つまり、彼が残した最後のメッセージがこの映画に隠されている……と言って大袈裟過ぎるというのなら、少なくとも黒澤明が『夢』『まあだだよ』で示したような最晩年の境地を示している、と言うのは過言ではないだろう。

ストーリー自体は至ってシンプル。50歳の誕生日を迎える教授は、ゴトランド島でヴァカンスを楽しむつもりだった。だが、そこで核戦争が勃発したことを知る。教授は慌てふためき、なんとかしようと己を生贄(サクリファイス)にしようと思いつくが……というプロットだ。

核戦争のリアル、と言っても平成生まれの人は(もう令和だしね!)ピンと来ないかもしれない。東西冷戦時代は共産主義と資本主義が覇権を争っていて、一触即発の恐怖を味わわせられた時代でも合った。そんな時代背景を読み込むとこの映画が語っていることがちっとも難解でもなんでもないことに気づかされる。私たちは幸か不幸か 3.11 を体験して来たので、不謹慎極まりない表現をするならあるいはこの映画は「フクシマ」について語った映画と読み取ることも出来るのかもしれない。非常事態における人間の行動を扱ったものとして。

この映画を観ながら、私は乏しい映画的知識の中からラース・フォン・トリアーメランコリア』を引っ張り出してしまった。ラース・フォン・トリアー監督がこの映画を観てないとは考えにくいが、しかしタルコフスキーの映画は鬱展開にはならない。ロングショットや長回しの多用などで似ていると言えば言えるが――もちろんプロットもだ――しかしタルコフスキーの映画が一ミリでも希望を与えてくれるとするなら、それは取りも直さず最後の最後で火と水の融合を果たし得たからなのではないか、と邪推してしまう。

火と水。故あってレヴューが書けないでいるのだけれど、同じタルコフスキー監督の『鏡』もまた火と水を扱った、甘美な少年時代の記憶をめぐる物語なのだった(例えばライナー・マリア・リルケ『マルテの手記』や、ヴァルター・ベンヤミンの散文/エッセイを彷彿とさせるものだった、と言えば伝わるだろうか)。そして映画をリードしているのは、火と水なのである。この映画でもカタストロフは火によってもたらされる。ネタを割ってしまうと、彼らが住んでいた家が焼け落ちるのだ。火は人間が遂にコントロールし得ないものであり、ある意味では焼け落ちる家とは核戦争のもたらした終末のメタファーであると言っても良いのかもしれない。

しかし、映画はそこで終わらない。とある少年の行動が最後に仄明るい未来を照らし出し、そして締め括られる。そこで、火と水は奇跡の融合を果たす。即ち、海面を照らす太陽の光という形である。火の集合体である太陽が、水の集合体である海を照らす。しかもこれらは矛盾したものではなく、奇蹟的な調和/ハーモニーを奏でているのだ。最後の最後にこんな鮮やかなエンディングを持って来られれば、唸るしかないではないか。タルコフスキーは最後の作品で、奇蹟を成し得たのだ。もちろん彼自身はもっと撮るつもりはあったにせよ。

そんなところだろうか。あと思ったのは、タルコフスキーが示してみせた日本へのこだわりである。なんとなく聞き覚えのある音色だな、と思いながら映画の BGM を聴いていたのだけれど、実は尺八だったのだ。このこだわりに意味はあるのか? それともただの気まぐれなのか? いや、『惑星ソラリス』でも日本の都市を引用してみせた監督である。ただの気まぐれと斬って捨てるには惜しい発想だ。だが、これ以上は例によって私には語れない。詳しい論客の文章から虚心に学びたいと、改めて思ったところである。まだまだ私もアマちゃんだ。

とまあ、小難しいことを書いてしまったがさほど難解に捉えなくても良い。コントにも似た最後の小競り合いを笑いながら楽しむも良し、主人公が女性を前にして見せてしまう情けなさを楽しむも良し、タルコフスキーならではの思弁的やり取りの丁々発止を楽しむも良し。捉え方は人の数だけある。私も正解を人に押しつけたくてこんな文章を書いているわけではない。ニーチェを知らないこともあって最初の鑑賞となる今回で読み取れたのはここまでだった。これから先は宿題にしていずれ語り直したいところ。残念に思う。

タルコフスキーめぐりも残すところは『僕の村は戦場だった』を残すところのみとなった(短編は除く)。今のところ好きなのは『鏡』と『惑星ソラリス』くらいか。初心者にもこの二作はオススメ出来るのではないかと思う。眠くなる? それはそれで良いじゃないか。生真面目にコーヒーをキメてから挑むなり、思い切って爆睡するつもりでノーガードで観るなり、これまた人の数だけ楽しみはある。タルコフスキー、必見とは思わないにしろ重要な監督であることは今回の鑑賞で明らかとなった。是非火と水の融合を楽しんで欲しいと思う。